Time Left

迷える大学4年生のブログ

1223 現実見えてるの?の謎

両親が手渡しではないと仕送りをくれなくなったので、昨日こちらに来た両親と渋々食事を取った。前回、今後の進路についても軽く伝えていたので今回はその話し合いをするための会食でもある。陰気な雰囲気の中で食べるお寿司は少々値段が張る物だったがそれほど美味しく感じられなかった。

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反対されても私が進路を曲げるつもりがない事は両親も分かっていたので、来年上京するならば「ちゃんと連絡をつくようにすること」その条件を飲むならば不服だけど認めるとのことだった。

 

認めると言っても。両親は文句たらたらだった。とくに母親。やれ「考えが甘いんじゃないの」だの「本当にやっていけるの」だの「現実見えてるの」だの。あああああうるせぇ!!!!

 

考えは確かに甘いかもしれない。一応手取り15万あればかなりぎりぎりだけども生活できる算段でいる。しかし、予想外の出費がかさみ、さらにかつかつの生活になる可能性は高い(再来年の予備校台を貯金することを考えばさらに生活に使えるお金は減る)。しかも7時間働いた後に予備校に行くとすれば疲れもたまる。1日のわずかな時間で学科の勉強もしなければならない。正直、自分でもやっていけるのかかなり不安な部分がある。でも、やらないうちから「大変そうだからやめるわー」にはならない。やらずにはいられないから。

 

そんでもって母親の言う「現実」は見えているつもりだ。中高校生が夢を語っているのではない。お金の事、仕事の事、老後の事、(他にも親の目から見た私の能力だとか色々)大学生としてなまじ社会と接し、知識を得たから、その「現実」が何を指しているかぐらいは分かる。

 

じゃあ逆に「現実見えてるの」と言う人に問いたい。「あなたは現実見えてるの」と。「現実見えてるの」「現実を見なさい」と言う言葉には「自分は現実が見えている」という意味合いが含まれていると思う。でも、あなたたちは本当に現実を見えているのか。

 

あぁ、もしかしたら互いに何を「現実」としているのか違っているからこうも意見が食い違うのかもしれない。彼らにとっての現実とは「正職についていればそれなりの生活は保障される」という「現実」であり、私の「現実」とは「正職についても必ずしも良い生活が得られるわけではない」という現実である。そして将来、病気や怪我で身体が不自由になる可能性がある「現実」であり、最悪若くして死んでしまう可能性がある「現実」である。

 

私にとってはそれが「現実」なので、とてもじゃないが、やりたいことを我慢して周りと合わせて生きていくなんてできない。とくに20代である今はなおさらそう考える。

 

別に母の「現実」が間違っている訳ではないのだろう(気に入らないが)。それは、世間の感覚に加えて彼女の経験により裏打ちされているものだから。そして、私の「現実」もまた年を取るごとに変わっていくのかもしれない。ただ、自分の都合のいいように言葉を使うだけなのかもしれない。

 

眠くなってきたし、書いててわかんなくなってきた。取りあえず、「現実をみなさい」の「現実」は良く分からないが、今、この眠気は現実のものであるように思われるので寝ます。