Time Left

迷える大学4年生のブログ

12/16 ぼっちでいる理由

突然だが私はぼっちである。2・3人友人がいる、または、サークルにのみ友達がいる大学生が自虐的に使う「ぼっち」ではない。この大学4年間、私には一人も友達がいなかった。

 

別に自分は友達が作れないタイプの人間ではない。それは、大学入学以前を振り返れば明らかである。ただ、私には彼らと物理的に離れた場合に、その関係を維持することができなかった。私は「久しぶりだね」という言葉が大嫌いだった。

 

私の気持ちが通じてか、毎回、仲の良い友達とは必ず疎遠になった。私は自分の事を棚に上げ、友情の儚さに嘆いた。そのうち、やがて失うならば有っても無くても同じだと思うようになった。そして、人と関わる努力をしなくなった。

 

美人でもないので、必然的に私はぼっちになった。時折「あぁ、自分はひとりなんだなぁ」と思い少し泣きたくなることもあったが、孤独はそれほど苦しいものではなかった。その証拠?に引き籠ったり鬱になることなく無事に卒業できそうである(卒論が終わってない?知らんな)。

 

一人でいることに馴れると、今度はだんだん他人と関わるのが嫌になった。

 

一人でいると周りの音や声がよく聞こえ見えるようになる(とはいっても私は自己中なので見落としも多いのだが)。そして、嫌でも他人の会話が耳に入ってくる。

 

作った話し方、思ってもいない言葉、自分を良く見せようとする素振り、沈黙を避ける為の談話、友達であろう彼らのやり取りは嘘ばかりであった。時には第三者として聞いているこちらが恥ずかしくなるような言葉を述べる人もいた。でも、私は彼らを心から笑うことはできない。

 

私は自分が彼らと同じことをしているのを知った。私も他人に良く思われたいという欲求が人並みに強いため、可愛くもない人に可愛いと言い、面白くないのに面白いといい、会話を繋げるためにくだらない話を振り、聞き手に笑ってもらいたいが為に自ら恥ずかしい言動を取る。

 

これは全員参加の飲み会で実証済みであるし、素面の時、普段の会話でさえ往々に現れる。そして、会話を終え家路につくとき酷い自己嫌悪に陥るのだ。

 

「バカが沈黙している時は、賢人並みに扱われる」という格言がある。本当にその通りだと思う。私は他人によく思われたい。馬鹿と思われたくない。だから、頭の悪さを露呈したくなければ黙るべきなのだ。しかし、他人といると、沈黙の怖さから、つまらない人間だと思われたくないという気持ちから、口を開いてしまう。それで結局賢者から馬鹿になり下がり、また、元々つまらない人間である私は長時間の付き合いの末にその正体を隠しきれずに幻滅される。

 

そうして、私はぼっちでいることが最善であると考えたのだった。