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迷える大学4年生のブログ

1024 映画『二重生活』考察 教授はなぜ自殺したのか

ゲオから借りたDVDの返却日をすっかり忘れていて、準新作のDVD一本を延滞してることに気づき夕飯後すかさず見ました。

 

今日見たのは『二重生活』という映画です。以前、誰かのブログで紹介されていたのを見て気になって借りてきた次第です。 

二重生活

二重生活

 

 

なかなかおもしろかったです。評価は0~5、0.5刻みで☆3.5です。

 

主人公は院生の女性。修士論文を書くために哲学科?の教授から「他人を尾行してはどうか」と勧められて、一見幸せな暮らしをしている男性を追っていきます。卒論を書いている身としては、「哲学科はどうか知らんけど、尾行とか倫理審査通らないんじゃないの?」とか現実的なこと考えていましたが、フィクションですしね。まぁ、それはともかく、主人公の下手ぴっぴな尾行に終始ハラハラさせられたり、ラストがどうなるのかと考えながら見れたのでとてもよかったです。ただし、真昼間ビルとビルの隙間でセックスしたり、感情が高ぶりすぎて出た主人公の行動など、見てて不自然な点がいくつかあったので☆4にしたいところをー☆0.5としました。

 

さて、以下からはネタバレを含む考察に入りたいと思います。見たい方だけ見てください。

 

 

私がぐっときたのは、教授が自殺するシーンでした。そして、映画に関しては男女の関係だとか、主人公の尾行の仕方だとか感情の推移だとか、尾行対象となった男性のその後の経過などに目が行きがちですが、そんなものは結構どうでもよく、この教授の自殺こそが最も重要な場面だと私は信じています。

 

なぜ教授が自殺したのかについては映画を見た人達が疑問に思う点らしくヤフ知恵や個人ブログで「なぜ教授が自殺したのか分からない」という記述を多く目にしました。「母が亡くなり、妻代行をしていた女性も仕事を終え離れていったためその空虚感で自殺した」と書かれているのも見ましたが、私はもう少し深いものがあるのではないかと思いました。

 

そもそもなぜ、教授は主人公に尾行を勧めたのでしょうか。私は、これは教授が自身を尾行してもらいたかったからだと考えます。尾行して他人がどう自分を感じているかを、他人の目を通して教授は自身の存在を知りたかったのだと思います。(ただし、自分を尾行してくださいとは言えませんから、主人公が自発的に自分を尾行してくれたなら良いなぐらいに思っていたでしょう。確信があって頼んだとは思えません。)

 

哲学を専門とするくらいですから、教授はこれまで延々と自身の存在について考えてきたはずです。これまで女性との関係を持たずに生きてきたことからも良く分かります。なぜ、自分は生きて(存在して)いるのだろう。何のために、なぜ、なぜ、、、きっと、この問に教授はずっと悩まされ続けていたのだと思います。

 

主人公に尾行を勧めるきっかけとなったのが「母親の死期が迫っていること」だったのではないでしょうか。教授は自殺しようと思えば自殺できたのです。なぜなら、自分が生きる意味を見いだせていないから。生きる目的を見いだせなかったからです。だけれども、唯一の家族、母親だけが心残りでした。母親を安心させるため、代行で奥さんをこしらえて紹介し、「自分は妻もいてもう大丈夫だ」ということを示すぐらいなので、とても教授は母親思いだったのでしょう。

 

教授は母親の死後に自殺する覚悟を決めていたのだと思います。これまでどんなに考えても自分の存在(存在意義とか生きる目的といいかえた方が分かりやすいかもしれない)について知ることができなかったからです。そこで最後に他人から見てもらい、自分の存在を記述してもらおうと考えたのでした。

 

「生きる意味(目的)を見いだせない」というと、とても怠惰なように聞こえるかもしれません。でもそうではありません。教授が「生きる意味を見いだせない」つまり、自身の存在が分からないのは、教授が一般人と異なり強烈に死を意識しているからに他なりません。死を前にしては如何なる人も無力です。いくら財産を蓄えようが、良い家族をつくろうが、名声を得ようが、死がすべてを消し去ります。だから、死を甚だしく意識している教授は「いつか消える自分」がなぜ存在しているか分からないのです。だから生きる意味も見いだせないのです。

 

この教授と対照的なのは主人公の彼氏ですね。イラストレーターとして成功するという目的がありますから「なぜ自分は生きているのか」など問わない。なので、主人公の女から尾行の事を打ち明けられたときに理解を示しませんでした。「なんでそんなことをするのか分からない。そんなことして意味があるのかよ」みたいなこと言っていましたが、普通の感覚からすればその通りです。哲学なんて実生活に何の役にも立ちませんので、大した意味などないのです。存在意義に疑問を持たない彼にとってすれば主人公がやってることなど馬鹿馬鹿しく映るでしょう。そのようなくだらないことに彼氏である自分がないがしろにされているのだから破綻するのも無理ないと思います。

 

加えて、主人公の尾行の対象となった男性もこの彼氏と同じです。しかし、大きく異なる点があります。大抵の人がこの男性に当てはまるのではないかと私は思います。つまり、一般的に良いとされている事柄を無批判に自分自身の生きる目的としているのです。ありませんかね。そういうの。私の両親とか全くこの通りなのですが。例えば「大企業に勤める」「高い偏差値の有名大学に入る」「結婚して、子供をもうけて夫婦子供仲良く暮らす」「一戸建てを立てる」とかそういうのです。多くの人は子供のころから両親やメディアによって、この「一般的に良いとされること」を刷り込まれ、これを人生の目的であるように錯覚するのです。で、これを目標とし邁進している時は問題ありません。ですが、実際この目標が達成されてしまうと気づくのです。「あれ、なんか思ってたのと違う」「周りからは、いいね!いいね!言われるけど、全然幸せじゃない」と。当然です。それは与えられたものであり、本当の自分の生きる目的や意義などではないのですから。だから、尾行対象となった男性は完全な勝ち組でありながらも不倫するのです。

 

さて教授の話に戻りますが、非常に素直で自分を偽れない教授はそのような世間から提示された目標には目もくれません。ですが、代行妻を雇って、ちょっとこんな暮らしもいいなと思ってしまいました。死によってすべてが消え去るとしても、妻の手作り弁当を食べている時、妻と買い物をしている時に得た幸せは確かにそこにあり、それが教授の生きる意味として芽生えようとしていました。しかし、代行妻との関係はやはり、その仕事の中だけのものでした。

 

代行妻が仕事ではなく、一人の女性として今後も教授と付き合うことになったのであれば、きっと教授は自殺しなかったでしょう。なぜなら代行妻により存在意義を確立できるから。でも、関係はなくなってしまった。教授は改めて思ったでしょう。「ああ、生きていても仕方がない」と。ましてや母親が亡くなった後です。もうこの世に自分を繋ぎとめるものが教授にはありませんでした。

 

なにも自殺までしなくてもいいんじゃないかという声が聞こえてきそうです。でもそうでしょうか。生きてれば辛い事ばかりです。その中に喜びを見いだせなければどう生きればいいのでしょうか。とくに教授は生きづらかったと思います。「教授」という職を手に出来たから良いものの、あきらかに教授は社会不適合者です。これまで生きてきた中にも自分の考えが周囲と異なりすぎて馴染めず苦しんできたことと思います。教授は、今後もわけも分からず生きていくより死を選ぶ方が有意義だと考えたのではないかと思います。

 

まぁ、映画を見て思ったことはこんな感じです。あと最後に

「あなたは私のことをどう思っていたのか」

「私をどうしたかったのか」

「あなたにとって私はなんだったのか」

「私は永遠に知らない」

という文章が出てきて、これを主人公が彼氏に言った言葉のように解釈されている方がいましたが、私はそう考えませんでした。

 

これは、製作者が視聴者に問うていることで、結局、自分の存在は自分では見つけることができず、他者により決められるものだということ、だけれども、他者はそのようなことを普通は言わないので、私は私の存在をいつまでも知ることができないのだということを表しているのではないかと思います。教授はこれを主人公に修士論文を通じて行わせて、自分の存在を知ろうとしたのだと思いますね。